グスタフ・クリムトはどんな人?家族や子供は?恋人エミーリエについて

こむぎ
どうも!こむぎです!

グスタフ・クリムトは日本でも人気で有名な画家ですよね。
金箔を用いた作品は豪華絢爛であり、創造性豊かな表現
特に「接吻」は多くの人を魅了してやまない作品です^^

クリムトは「死とエロスの画家」と評されがちですが、実は「生と死」受胎から死ぬまでを探求し、きわめ続けていたとされています。

そんなクリムトはどんな人物なのでしょうか?
絵には彼の人生が多く反映されていたと思うのでクリムトについて3分で読めるようにまとめてみました!

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クリムトはどんな人だった?

こむぎ
あんなに人を惹きつける作品を多く残しているグフタス・クリムトはどんな人だったのでしょう?

気になりますよね!?

今回上野の東京都美術館で開催されている「クリムト展2019」と国立新美術館で開催されている「ウィーン・モダン展」を回ってクリムト作品にたくさん触れてみました!

クリムトは早い段階から絵での頭角を出しており、
才能を認められ、劇場の壁画装飾などで名を馳せている。

クリムトの作品の魅力は、金箔やガラスなどを用いた絵画はきらびやかで立体感を持ち多くの人を惹きつけている。華やかな装飾性と官能性が特徴で独特な作品ですね。
とりわけ女性を描くことを得意としたクリムトは、神話や聖書に登場する女性に甘美な表情を与えて描いている。

グスタフ・クリムト(1862〜1918年)

1862年0歳 ウィーン郊外に生まれる
1876年14歳 ウィーンの工業美術学校に入学
1883年21歳 芸術家カンパニーの経営を始める
1897年35歳 ウィーン分離派を結成
1901年39歳 「ユディットⅠ」を制作。初めて金箔を使う
1902年40歳 第14回ウィーン分離派展に「ベートーヴェン・フリーズ」を出品
1905年43歳 分離派脱退
1906年44歳 オーストリア芸術家連盟結成
1907年45歳 「接吻」を制作
1914年52歳 第一次世界大戦が勃発
1918年55歳 脳卒中で倒れ、入院中に肺炎で死去

クリムトが参加した芸術グループ

天才で才能があったクリムトですが、彼の官能的でエロスが漂う絵の表現はすぐに人々に受け入れられるものではなかったようです。

芸術家カンパニー

クリムトが弟や学友と共に結成したグループ。
ブルク劇場やウィーン美術史美術館窓ウィーン市内の建築内部の壁画を数多く手がけた。

ウィーン分離派

保守的な画壇を離れ、クリムトは新たな理想の芸術を生み出すために1897年に仲間たちと「ウィーン分離派」を結成します。

クリムトがリーダーとしてウィーン美術家協会を脱退したグループ。
総合芸術の構築や海外の同時代芸術の紹介・展示した。

黄金様式で新たな表現
1901年に「ユディトⅠ」で初めて金箔を用いて描いた新たな表現方法であった。

ウィーン工房

1903年にウィーン分離派のメンバーらによって作られた工房(芸術家組合)
応用芸術としての芸術工芸品の再評価とその地位の向上を目指した。

クリムトと日本美術の関係

日本美術に強い憧れを持っていたとされるクリムト。
浮世絵や甲冑、着物などの日本美術品も集めていた。

クリムトの作品にはいくつか日本美術を意識して描いたと思われる作品がちらほら見受けられます。

「17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像」には梅の枝や草花を散りばめた金の額で縁取った。

「赤子(ゆりかご)」にはカラフルな色合いの布が重なっていて、その絵柄が日本の着物からインスピレーションを得ていると考えられています。

「女ともだちⅠ(姉妹たち)」の構図は江戸時代の浮世絵の美人画に着想を得たとされていて、市松模様のような柄も描かれている。

この3つの作品は「クリムト展2019」で拝見することができます。


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クリムトの家族や子供は?エミーリエとの関係は?

こむぎ
クリムトの作品の特徴は「女性」

「私は自分に関心がない。他の人間、とりわけ女性に関心がある。」と語っている。

実際多くの作品が女性だ。
クリムトのアトリエには何人もの女性モデルが自分の出番(絵のモデル)を待っていたといわれている。
絵のモデルらとの間には子供が10人以上いたとされている。
常に多くの女性との関係を持っていたとされているクリムトは女性への誘惑に負ける弱い一面もあった。

アトリエはハーレム状態とも言われていて、常に半裸の女性がウロウロしていたそうですから絵のモデルはクリムトにとって性の対象であったのでしょうね。

でも、クリムトは生涯独身を貫いた。
家族は自分と病気がちの母と妹2人と生涯暮らしている。姪のヘレーネ・クリムトは弟エルストンが急死後、後見人を務めた。

クリムトにはエミーリエ・フレーゲという生涯のパートナーがいた。
エミーリエはクリムトの弟エルストン・クリムトの嫁ヘレーネの姉にあたるので、2人は親戚になります。
エミーリエはウィーンでブティックの経営をしており当時では珍しく経済的にも精神的にも独立した女性でありました。
2人の間には子供はいなく、プラトニックな関係であったとされています。

夏になるとエミーリエの別荘で2人は過ごしていたとされています。
エミーリエはクリムトにとって他のモデルとは違う存在であったのでしょう。

病に倒れたクリムトが言った最後の言葉が「エミーリエを呼んでくれ」でした。
2人は心から信頼と尊敬できる間柄であったのではないでしょうか。

今は推測でしかできないけれども2人は愛し合っていたと思いたいですね。

クリムト自身とエミーリエがモデルとされている「接吻」

美しくて華やかだけれどもどこか儚げな印象の作品です。

クリムトの展覧会

グスタフ・クリムトはどんな人?のまとめ

2019年はクリムトの作品が日本で触れれる良い機会ですね^^

クリムトは芸術家であり、常に多くの女性に恋をしていたからああいった作品が生まれていったのだろうと感じています。
そして表現の自由を求めていたからこそ多くの運動を起こし活動していった苦労人でもあり、たくさんの責任も背負っていた人。

芸術に人生を捧げた男だから今もなお多くの人に愛される作品が制作できたのではないでしょうか。

彼の人生を語ることはできないけども、素晴らしい作品で彼を感じることはできる気がしました!

by こむぎ

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